ナビ番号:708 御手洗池

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ページ番号1020454  更新日 令和5年3月24日

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織田秀信キャラクター

わたくし、ぎふ・いざないびと、織田秀信がご案内申し上げよう。

わしは信長様の孫で、豊臣秀吉様の後見もあり、岐阜城主になったのじゃ。ここ御手洗池(みたらしいけ)の名は、かつて金華山丸山に伊奈波神社があった頃、この池で手を洗って参拝したことが由来になっておる。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、石田三成の誘いで西軍として戦ったのじゃが、激しい戦いで岐阜城は落城し、城内の者がたくさんこの池に飛び込んで命を絶ったのじゃ。動乱の世とは言え、可哀想なことをしたものじゃ。後世の昭和62年(1987)には発掘調査をして池底を調べたが、城に関わるものは残されていなかったようじゃな。

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