ナビ番号:601 御鮨街道

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ページ番号1020486  更新日 令和5年3月24日

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長良川の鮎キャラクター

わたくし、ぎふ・いざないびと、長良川の鮎がご案内いたします。

この街道は、尾張藩が整備した街道で、尾張街道・岐阜街道などともいい、江戸時代、岐阜町から加納、笠松、一宮さらに美濃路との分岐点、四ツ家(愛知県稲沢市)まで約26キロほどを結んでいました。一宮に宿を置き、松並木なども見られたそうです。江戸時代の初めから明治初年まで、尾張藩が、毎年5月から8月まで、毎月6回、長良川の鵜飼で獲れた、わたしたち鮎を「なれ鮨」に加工して、この街道を利用して江戸幕府に献上していました。ですから、後に「御鮨街道」とも「鮎鮨街道」とも呼ばれるようになったのです。当時、美濃路から東海道を利用して4、5日ほどで江戸に届けられたといいます。

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