ナビ番号:321 崇福寺
わたくし、ぎふ・いざないびと、織田信長がご案内申し上げよう。
ここは臨済宗妙心寺派の寺院で、開山は文明元年(1469)のことじゃ。永禄10年(1567)、わしが岐阜に本拠地を移すと、この寺に禁制を出して保護し、織田家の菩提所としたのだ。本能寺の変でわしと子・信忠が明智光秀に討たれたとき、わしの妻女・お鍋の方が位牌を安置してくれたのじゃ。これが現在の信長の父子廟(ふしびょう)となっておる。また、本堂の「血天井」はわしの孫・秀信が関ヶ原の役で落城した際の床板で、討ち死にした将兵たちの菩提を弔うために天井に張られたものである。今でも黒々とその跡が残り、激戦を伝えておるのじゃ。
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