城下町の繁栄を支えた文化

ツイッターでツイート
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1020041  更新日 令和5年3月22日

印刷大きな文字で印刷

城下町の繁栄を支えた文化 -岐阜大仏-

岐阜大仏
正法寺の岐阜大仏

 楽市楽座や長良川の水運で栄えた信長公の岐阜城下町では、長良川上流から運ばれた和紙や竹などを用いた文化が育まれました。その文化は廃城後もさらに洗練され、江戸時代になると岐阜提灯・岐阜団扇・岐阜和傘等の工芸品が知られるようになるほか、江戸時代後期になると日本最大の漆箔の大仏である岐阜大仏を生み出すなど、まちにさらなる賑わいをもたらしました。
 正法寺の岐阜大仏は、材木や竹、和紙等を使って大仏殿と一体で造られており、町のランドマークになっています。

 金鳳山正法寺は江戸時代初期に中国から伝わった黄檗宗の寺院です。11代惟中(いちゅう)和尚が大釈迦如来像の建立を図り、38年の歳月を費やして、天保3(1832)年に本尊が完成しました。
大仏殿と一体で造られている本尊は、高さ約13.7mです。木材で骨格を組み、籠を編むように竹で大仏の大まかな形に下地を編み、そこに粘土を塗って一切経の書かれた紙を張る、さらにその上に漆を使って金箔を施すという作り方でできていることから、籠大仏と呼ばれています。この作り方では日本一大きい大仏です。

このページの先頭に戻る

城下町の繁栄を支えた文化 -伝統工芸品-

伝統工芸品
岐阜提灯・岐阜和傘・岐阜団扇

 楽市楽座長良川の水運で栄えた信長公の岐阜城下町では、長良川上流から運ばれた和紙や竹などを用いた文化が育まれました。
 岐阜の団扇は室町時代に宮中に献上されていたとの記録があり、岐阜提灯は現在も日本有数の産地となっています。また岐阜和傘は、江戸時代に下級武士の内職として奨励されたことにより地場産業としての基礎が確立され、現在もJR岐阜駅南側の加納地区を中心に伝統の技が受け継がれています。

 岐阜提灯江戸中期から生産され、やがて全国に流通していった岐阜市の特産品です。極細の竹ひごに美濃和紙等の薄紙を貼り、上品な絵柄や模様を施した提灯として、全国的にもよく知られています。

このページの先頭に戻る

より良いホームページにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページの情報は役に立ちましたか?

このページに関するお問い合わせ

文化財保護課
〒500-8701 岐阜市司町40番地1 市庁舎10階
電話番号:058-214-2365 ファクス番号:058-263-6631 

文化財保護課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。