鵜飼でおもてなし

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ページ番号1020022  更新日 令和5年4月17日

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鵜飼でおもてなし ー長良川の鵜飼ー

長良川の鵜飼
ぎふ長良川の鵜飼

 信長公は、長良川や金華山を背景に行われる鵜飼を接待の場として用います。
 永禄11年(1568)に信長公の元を訪れた武田信玄の使者、秋山伯耆守虎繁(あきやまほうきのかみとらしげ)は山麓での食事や能の鑑賞の後、長良川での船による鵜飼観覧に招かれました。信長公は武田信玄に気を遣い、獲れた鮎を自ら確認して甲府に届けさせています。また信長公は「鵜匠」の名称を与え、禄米十俵を給して保護したと伝えられており、その後も徳川家康・秀忠親子が鑑賞しこれを称えたことで、鵜飼は時代を通じて大事に守られてきました。松尾芭蕉は「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」と有名な句を残しています。

 国重要無形民俗文化財に指定されている「長良川の鵜飼漁の技術」は、岐阜市長良と関市小瀬(おぜ)に伝承される、飼い慣らした鵜を巧みに操って、鮎などの川魚を捕える技術です。鵜匠らが鵜舟に乗って川を下りながら漁を行うもので、漁には10~12羽の鵜が用いられます。

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鵜飼でおもてなし ー鵜匠家の暮らしと祭事ー

鵜匠家
鵜匠家 鳥屋の様子

 長良川鵜飼ミュージアムが所在する鵜飼屋地区には、6件の鵜匠の家が存在しており、その暮らしぶりを垣間見ることができます。
 各鵜匠家には主屋のほか、鵜の世話や漁の運営に必要な鳥屋(とや)、水場、松小屋などが設けられています。鵜は、鵜匠にとって一緒に仕事をする大切な相棒で、毎日欠かさず鵜に触れて体調を管理し、獣医による健康診断も行われます。
また鵜飼にまつわる祭事として、7月には水難防止と鮎供養を兼ねて行われる長良川まつり、10月には鵜飼閉幕後に鵜供養が実施されています。

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鵜飼でおもてなし ー観覧船の造船・操船技術ー

観覧船の造船技術
鵜飼観覧船の造船技術 釘打ちの様子

 岐阜市鵜飼観覧船造船所は、全国唯一の市営の造船所です。岐阜市では、鵜飼の見物客を乗せるために屋根を備えた観覧船の需要が高まり、他の川船と異なる造船技術が発達しました。観覧船には設計図面はなく、舟大工の経験と技で作られます。また、その観覧船をこの長良川中流域で操るため、河床が川石である環境に合わせ、サオを主体にカイを併用する操船技術が発達しました。複数の船頭が前後に乗組み、水深の浅い所では竹製の(さお)を、深い所では船を漕ぐための(かい)を使用して、流れの速い川を上下しながら運航します。船からの鵜飼見物が一般的になったのは、江戸時代後期頃からと考えられています。

 ともに長良川の鵜飼観覧を支える大切な技術です。

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鵜飼でおもてなし -船上の遊宴文化-

遊宴文化
船上での舟遊びの様子

 長良川の鵜飼でお客をもてなすための技術や文化は、今も多くの観覧客を魅了しています。中でも舟遊びのお供として芸舞妓を乗せて楽しむ「船上の遊宴文化」は、鵜飼観覧と一体で育まれてきました。江戸時代には一度下火になりますが近代に再興を果たし、昭和初期には400名もの芸舞妓がいたといわれています。
 現在も長良川鵜飼から生まれた小唄「風折烏帽子」などの伝統的な遊興文化が継承されているなど、鵜飼を「観る文化」が息づいています。
 

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