令和7年度 岐阜城跡天守西側発掘調査成果を発表しました!

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ページ番号1036920  更新日 令和7年12月18日

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調査の概要

位置図

令和7年度は、天守西側と一ノ門北側で調査を行っています。
調査は令和7年10月28日から開始し、令和8年2月中旬ごろに終了予定です。
今回は、大きな成果があった天守西側について発表を行いました。

天守西側の発掘調査成果

江戸時代の『稲葉城趾之図』には、天守西側の石垣がはっきりと4段で描かれています。

これまでの発掘調査や、周辺地形の表面観察では、上から1、2、4段目の石垣を確認しています。

今回は、これまで確認されていない3段目の石垣の有無を調査しました。

天守西側

(1)3段目の石垣の確認

調査の結果、信長公時代とみられる天守西側3段目の石垣を確認することができました。

『稲葉城趾之図』の西側ラインに相当する箇所においては、

石垣そのものの石材1石(幅70cm×高さ40cm×奥行95cm)を確認し、

さらに、北側のラインに相当する箇所では石垣の裏込め(大きさ約10cm~20cm)を確認しました。

これらの状況から、『稲葉城趾之図』のとおり、天守西側に4段の石垣が存在することを確定でき、

絵図の正確性が改めて証明されました。

石垣

(2) 礎石の発見

さらに、3段目の石垣の上部には、『稲葉城趾之図』には表現されていない広い平坦地が

形成されており、この平坦地を調査したところ、建物の礎石を3石確認しました。

礎石はすべて川原石で、1石は平坦地のほぼ中央、残り2石は北側斜面で見つかっています。

(北側斜面の礎石のうち1石は、長さ45cm×幅22cm×厚さ15cm)

北側斜面の礎石の間隔は約1.9m、中央と北側斜面の礎石の間隔は約3.6mであり、

これはおおむね、建築で用いられる寸法(1.8m=1間)に当てはまることから、

櫓(やぐら)や塀など、しっかりした建物があったとみられます。

また、土の堆積状況からみると、石垣と礎石は同じ地面を基礎に構築されていることから、

一連の工事で設置されていることが確認できました。

天守台周辺で信長公時代の礎石が見つかったのは初めてです。

礎石

調査のまとめ

平成30年度にスタートした岐阜城山上部の発掘調査により、

戦国時代の岐阜城の姿が次々に明らかになってきています。

令和7年度の調査で、信長公は城の西側や北側から見上げた時、

石垣だけでなく、櫓や塀も含めて一体にみえる「魅せる城づくり」を意識していた

可能性が高まってきました。

今後も調査を継続し、当時の岐阜城の姿に迫っていきます。

発掘調査成果の公開

今回発表した天守西側の発掘調査現場の現地説明会を開催します。

詳細は以下のリンクをご覧ください。

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〒500-8701 岐阜市司町40番地1 市庁舎10階
電話番号:058-214-2365 ファクス番号:058-263-6631 

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