令和5年度 岐阜城跡山上部発掘調査成果を発表しました!

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ページ番号1024843  更新日 令和6年2月5日

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調査の概要

令和5年度発掘調査位置図

令和5年度は、天守南通路西側・天守東側の2か所で調査を行いました。

調査は令和5年10月26日から開始し、令和6年2月中旬ごろに終了予定です。遺構の保護のため埋め戻します。

調査面積は、2か所で約300平方メートルです。

(1)天守南通路西側の調査

確認した下段の石垣(遠景)

 天守南通路西側では、令和5年度に初めて調査を実施しました。

 江戸時代の絵図『稲葉城趾之図(いなばじょうしのず)』には、天守に向かう通路の両側に2段の石垣が描かれています。現況では、東側は2段、西側は1段のみ露出していることから、この下段の石垣の有無を確認するため発掘調査を行いました。

 

 

 

 

確認した下段の石垣(近景)

 その結果、信長公時代とみられる下段の石垣を絵図のとおり確認しました。 

 規模は、高さ0.7メートル、2段分です。

 

 

 

 

 

 

出土した円礫

 また、確認した石垣の前面から、円礫(平らな河原石)と素焼きの皿(かわらけ)が大量に出土しました。 

 出土状況からみて、上部の通路から転落してきたものと考えられます。

 円礫は庭のような空間に使われたとみられ、素焼きの皿(かわらけ)は饗応(きょうおう)の場があったことを示します。

 このことから、石垣の上部が単なる通路ではない可能性が出てきました。

 

 

出土した円礫

(2)天守東側の調査

天守東側の石垣

 天守東側では、令和4年度に確認した、石垣前面の瓦を大量に含む層を発掘しました。

 その結果、石垣が岩盤を利用して構築している様子が確認できました。

 

 

 

 

 

天守東側の平坦地

 また石垣前面に、意図的に形成された小規模な平坦地を確認しました。

 

 

 

調査のまとめ

 岐阜城では、これまで山麓の居館跡では庭園は確認されていましたが、今回の調査結果により、山上部にも庭のような空間があった可能性が出てきました。

 信長公は、山麓の居館だけでなく、山上でも庭をつくり客人をもてなしていたのかもしれません。

 今後も調査を継続し、岐阜城の天守周辺の往時の姿に迫りたいと思います。

 

発掘調査成果の公開について

(1)発掘調査現場説明会の開催

発掘調査現場説明会を開催します。

開催日は令和6年2月10日(土曜日)で、時間は10時から15時までです。10時と14時から職員による説明を行います。

申し込みは不要です。雨や雪などの荒天の場合は中止します。中止の場合は、このページもしくは岐阜城跡発掘調査のエックス(旧ツイッター)でお知らせします。

公開場所は、天守東側です。天守南通路西側は急斜面のため非公開ですが、上部の通路にて、資料や説明パネルにより説明します。

資料は、現地および岐阜公園内の「日本遺産・信長居館発掘調査案内所」にて配布します。

(2)オンライン報告会の開催

発掘調査成果のオンライン報告会を開催します。また、現在山県市が進めている大桑城の調査成果も合わせ、それぞれの担当が報告します。

開催日は令和6年2月17日(土曜日)で、時間は10時から11時30分までです。

申し込みは、「ぎふ長良川めぐるツアーズ」のホームページ(https://gifu-nagaragawa.jp/programs/65a47ecd421aa900013b4aed)から事前申し込みをしてください。

 

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このページに関するお問い合わせ

文化財保護課
〒500-8701 岐阜市司町40番地1 市庁舎10階
電話番号:058-214-2365 ファクス番号:058-263-6631 

文化財保護課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。