令和4年度 岐阜城跡山上部発掘調査成果を発表しました!

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ページ番号1019766  更新日 令和5年5月2日

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調査の概要

令和4年度発掘調査位置図

令和4年度は、一ノ門・天守東側・天守南西部の3か所で調査を行いました。

調査は令和4年10月20日から開始し、令和5年2月中旬ごろに終了予定です。遺構の保護のため埋め戻します。

調査面積は、3か所を合わせて約520平方メートルです。

(1)一ノ門の調査

一ノ門の巨大な穴

 一ノ門では、これまでに2時期の門を確認していました。

 信長期と考えられる門は岩盤を平らに削って柱を立て(令和2年度確認)、道三期と考えられる門は穴を掘って柱を立てる(令和3年度確認)構造です。

 また門の脇に、一辺1.5メートル、深さ1.1メートルの規模で岩盤を掘りぬいた隅丸方形の穴を確認しました。底部に木材が残存しますが、遺物が出土しないため時期を特定できません。今後、木材の年代測定や樹種の特定などの科学分析を行い、穴の機能解明に迫りたいと思います。

(2)天守東側の調査

天守東側の石垣

 天守東側では、令和3年度に石垣の石材一石と瓦の出土を確認しました。周辺に残る石垣の積み方と出土瓦の文様から、池田輝政の時期に築かれた石垣と考えています。

 令和4年度は石垣の残存状況を確認するため、範囲を拡張して調査しました。その結果、長さ約2メートル、高さ約2メートル、最大4段分の石垣を確認し、想定よりも残りのいい石垣であることがわかりました。

 また石垣の前面には、瓦を大量に含む層が堆積しており、瓦葺きの建物に使われたものが廃棄されたと考えられます。

(3)天守南西部の調査

天守台南西隅石垣1

 天守台の石垣は、明治43年の初代復興天守建設の際に規模を縮小して積み直されたことから、戦国時代の石垣は残っていないと考えられていました。

 令和元年度の発掘調査では天守台北西隅の石垣を確認し、さらに令和2年度の調査では、現在の天守が乗っている石垣の下部に戦国時代の石垣が残っていることが確認できました。これらの石垣は、その積み方の特徴や出土した瓦などから、信長期に築かれたものと考えています。

 令和4年度は、それらの石垣の延長部分を確認するため、天守南西部の発掘調査を実施したところ、天守台南西隅と考えられる石垣を確認しました。この発見により、天守台西辺の長さが約14メートルであったことが分かり、さらに下段の石垣を土台として天守台が造られていることも判明しました。

 

天守台南西隅石垣2

調査のまとめ

 今回の調査では、織田信長の時期に築かれた天守台の規模や構造が明らかになりました。安土城で完成したとされる「天守」の起源を考える上でも重要な発見と考えられます。

 また石垣は『稲葉城址之図』にも描かれており、絵図が精密に描かれていることを改めて確認できました。

 今後も調査を継続し、道三公や信長公をはじめとする歴代城主が造り上げた岐阜城の真の姿に迫りたいと思います。

発掘調査現場の一般公開

発掘調査現場の一般公開を行います。

期間は令和5年1月31日(火曜日)から2月5日(日曜日)まで、時間は各日10時から15時までです。申し込みは不要です。雨や雪の場合は中止します。

公開場所は、一ノ門と天守東側です。天守南西部は狭く危険なため非公開ですが、説明パネルを天守南側に展示します。

資料は、岐阜公園内の「日本遺産・信長居館発掘調査案内所」にて配布します。

調査成果報告会(終了しました)

令和4年度の岐阜城の調査成果報告会を、大桑城(山県市)の調査成果と合わせてオンライン形式で実施します。それぞれの調査担当がお話しします。

開催日時は、令和5年2月18日(土曜日)の10時から11時30分までです。

「戦国ドラまちEXPO」のホームページからお申し込みください。

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このページに関するお問い合わせ

文化財保護課
〒500-8701 岐阜市司町40番地1 市庁舎10階
電話番号:058-214-2365 ファクス番号:058-263-6631 

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