長良川の鵜飼漁の技術 文化財の概要

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ページ番号1013874  更新日 令和3年11月11日

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長良川の鵜飼漁の技術

「長良川の鵜飼漁の技術」は、鵜匠と呼ばれる漁師が鵜を巧みに操り、鮎などの魚を捕らえる漁撈の技術です。長良川では、中流域に位置する岐阜県の岐阜市長良と関市小瀬の2か所で鵜飼漁が行われています。

平成27年(2015)3月2日、「長良川の鵜飼漁の技術」が国の重要無形民俗文化財に指定されました。漁撈の技術としては、日本初の指定です。

指定に係る基本的な事項(国指定文化財等データベースより抜粋)

名称
長良川の鵜飼漁の技術
ふりがな
ながらがわのうかいりょうのぎじゅつ
種別1
民俗技術
種別2
生産・生業
指定証書番号
477
指定年月日
平成27年(2015)3月2日
指定基準1
(二)技術の変遷の過程を示すもの
指定基準2
(三)地域的特色を示すもの
所在都道府県
岐阜県
保護団体名
岐阜長良川鵜飼保存会、小瀬鵜飼保存会

文化財の価値(文化庁作成資料より抜粋)

文化財の説明

本件は、長良川中流部に位置する岐阜市長良と関市小瀬に伝承されている、飼い慣らした鵜を巧みに操って、鮎などの川魚を捕える鵜飼漁の技術である。
鵜匠、艫乗り、中乗りの3人が鵜舟という木造船に乗って川を下りながら漁を行うもので、漁には10から12羽の鵜が用いられる。
漁は男性により行われ、鵜匠は世襲での技術の継承を原則とする。鵜匠は、鵜に首結いと腹掛けという縄をかけ、そこから延びた手縄を左手で握る。篝火で川面を照らしながら手縄が絡まないように右手でさばいて鵜を巧みに操り、鵜が魚を捕えると鵜を船にあげて吐け籠に魚を吐かせる。
艫乗りは、より多くの魚が捕れるように川の状況をみながら巧みに操船し、中乗りは鵜匠や艫乗りを適宜補佐する。

文化財の特色

鵜飼漁には、漁師自らが川に入って徒歩で行う徒歩鵜飼と船に乗って行う船鵜飼があり、船鵜飼は鵜の扱い方から鵜に縄をつけて操る繋ぎ鵜飼と鵜を放って行う放ち鵜飼に分けられる。我が国では、徒歩鵜飼と船鵜飼での繋ぎ鵜飼が広くみられ、前者から後者へ展開する中で、多くの鵜を扱えるようになったとされる。
本件は、船鵜飼での繋ぎ鵜飼にあたり、他地域の繋ぎ鵜飼と比べて操る鵜の数が多いことから、最も発達した鵜飼漁として技術の変遷の過程を示している。
また、 川面を照らすために篝火を用い、鵜匠の継承も厳格に行われるなど、伝統的な技術を伝えており、地域的特色も顕著である。

文化財の特徴(岐阜市・関市の調査研究に基づく整理)

(1)鵜飼漁の卓越した技術

  • 1人の鵜匠が鵜飼漁で同時に扱う鵜の数(10から12羽)が日本で最も多い。かつては中鵜使いが鵜舟に乗り込んで鵜を扱うこともあった。
  • 大きな魚が首で止まり小さな魚が首を通るように、最適な結び加減で鵜に首結いを結う。
  • 鵜匠は、鵜舟の上で複数の動作を同時かつ迅速に行う(手縄をさばく、篝を動かす、松割木を足す、首元に魚の溜まった鵜を舟縁に上げる、舟の進路や速度の加減を船頭に伝える等)。
  • 長良川中流域は流れが速く、瀬が多い等の特性があり、川の特性に合わせて効率的に鮎を捕らえる。
  • 鵜が魚を捕りやすく、鵜匠が鵜を扱いやすいように、「中乗り」と「艫乗り」の2人の船頭が棹と櫂を駆使して鵜舟を操船する。
  • 隊列を組んで同時に漁を行う各鵜舟が、等しく最大の漁獲を得られるように、交互に舟の位置を変えながら川を下る。
  • 9軒の鵜匠家にはそれぞれ屋号があり、鵜匠家ごとに鵜飼漁の技術を継承する。

(2)鵜匠と鵜の関係性

  • 各鵜匠家では、年間を通じて20羽前後の鵜を飼育し、鵜匠は鵜を1羽ずつ識別する。鵜匠と鵜の近い関係性が鵜飼漁の根底にある。
  • 鵜匠のもとに届けられた新しい鵜を「シントリ」と呼ぶ。茨城県日立市で捕獲されて間もない野生の「シントリ」が鵜匠家に届くと、鵜匠は嘴や羽根等を手入れし、他の鵜と離して鵜籠に入れ、こまめに触れながら少しずつ環境に慣れさせる。
  • 「シントリ」を川の水に慣れさせるために、鵜匠は頃合いを見計らって「シントリ」を長良川に連れていき、手縄をつけて川で泳がせて訓練させる。
  • 若い鵜に相手の鵜をあてがい、鵜籠の中の同じ仕切りに入れて飼育することで、2羽の鵜のペアの関係を意図的に作り上げる。この関係を「カタライ」と呼ぶ。
  • 「カタライ」の鵜は、同じ鳥屋籠で生活する。鵜同士が喧嘩せず扱いやすくなる、鵜が逃げた時に「カタライ」の鵜の元に戻ってくることがある等、様々な利点がある。
  • 鵜匠は、日常的に鵜に触れながら、餌の量を調節したり体調不良の鵜を休ませたりすることにより、鵜の健康管理を行い、鵜の性格や体調等を見極めながら、鵜飼漁に連れていく鵜を決める。

(3)機能性を追求した道具

  • 様々な道具には、鵜飼漁に最適な機能を確保するための工夫と改良が加えられてきた。
  • 鵜舟は、水に強くて軽いコウヤマキを素材とし、川の上流から下りながら漁をするのに合わせて、舳と艫の形状が相似したいわゆる両頭船の形態を維持する。
  • 鵜籠は、本体に水はけの良いハチクを使用し、中央のふくらみ、ヒゴのささくれを無くす等、鵜の居心地の良さを重視した形態を維持する。
  • 篝は、鉄製の籠・「ツル」(籠を吊るすための金具)・「ホエ」(籠を吊るすための棒)とヒノキで作られた篝棒からなり、松割木(アカマツ)を燃料とし、篝棒を入れる穴にムクゲを入れることで摩擦を少なくして篝を動かしやすくする。
  • 装束は、伝統的な素材(風折烏帽子(麻)、漁服・胸当(紺木綿)、腰蓑・足半(藁))を使用し、丈夫さや動きやすさ等を確保するとともに、鵜飼漁を見せることも意識した形状を維持する。
  • 手縄は、手縄本体と首結い・腹掛け・「クジラ(ツモソ)」(手縄や首結い・腹掛けが結びつけられている部位)からなる。現在は、入手できる素材(化学繊維の手縄本体、プラスチックのクジラ等)に変化し、その形態や機能を維持している。

(4)伝統的な鵜飼漁の継承

  • 文献史料や絵画資料をみると、少なくとも江戸時代終わり頃から、鵜飼漁の漁法、道具の形態、装束等は基本的に変化していない。
  • 中世以来、魚をおどかす照明具として、松割木を燃料とした篝火を用いており、その結果幻想的な光景が維持されている。
  • 明治23 年(1890)より、宮内省主猟局(現・宮内庁式部職)鵜匠として御料鵜飼を行い、皇室に鮎を納める業務を継承している。
  • 鵜飼漁の技術・習俗に係る伝承や記録を継承している(餌飼、鵜舟の帆走等)。

(5)鵜飼漁の観覧手法

  • 観覧の対象としての側面から、それに合わせた鵜匠や船頭の「見せる鵜飼漁」の技術が発達した。
  • 「狩り下り」は、鵜舟と鵜飼観覧船が平行に川を下る観覧手法である。
  • 「付け見せ」は、岸につけた鵜飼観覧船から鵜飼漁を見せる観覧手法である。
  • 「総がらみ」は、6艘の鵜舟が川幅一杯に広がりながら鵜飼漁を行い、その光景を見せる観覧手法である(岐阜市長良でのみ実施)。
  • 皇室による鵜飼御視察等における特殊な操船技術(観覧船の両側を鵜舟が挟む、特別総がらみ等)がある。

(6)古代まで遡る歴史性

  • 大宝2年(702)の正倉院宝物「御野国戸籍」に「鵜養部」の名が見られ、長良川(美濃)の鵜飼漁が1300 年以上の歴史を持つ由来とされる。
  • 永享4年(1432)の堯孝法印や文明5年(1473)の一条兼良等、中世の文化人が鵜飼漁を観覧した際の様子やその時に詠まれた歌が当時の紀行文に記されている。
  • 永禄11年(1568)、織田信長は、武田信玄の使者に鵜飼漁を見せてもてなした。
  • 将軍家への鮎鮨献上や、歴代尾張藩主による鵜飼漁の上覧が慣例化される等、長良川の鵜飼漁は江戸幕府や尾張藩の保護を受けてきた。
  • 17世紀後半、全国各地の大名が参勤交代等の折に、長良川の鵜飼漁を観覧しに岐阜を訪れており、当時から長良川の鵜飼漁の名が広く知られていたことがうかがえる。

(7)鵜飼漁としての影響力

  • 長良川の鵜飼漁は、日本の鵜飼漁を代表する存在として各地の鵜飼漁に影響を与えてきた。
  • 木曽川(愛知県犬山市)、宇治川(京都府宇治市)、大堰川(京都府京都市)、錦川(山口県岩国市)の鵜飼漁が再興した際、長良川の鵜飼漁から学んだと伝わる。
  • 三隈川(大分県日田市)の鵜飼漁は、長良川の鵜飼漁に倣い、カーバイドランプから篝火に変更したとされる。

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