船頭として誰にも負けたくない。舟大工の技術はまだまだわからない。次世代につなぐためには、一つも手は抜けない。杉山雅彦鵜匠家の船頭・今井翔佑さん

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ページ番号1033869  更新日 令和7年8月21日

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【連載第4回】船頭として誰にも負けたくない。舟大工の技術はまだまだわからない。次世代につなぐためには、一つも手は抜けない。杉山雅彦鵜匠家の船頭・今井翔佑さん

杉山雅彦鵜匠家の鵜舟
漁をする、杉山雅彦鵜匠家の鵜舟

鵜飼の写真を見ると、篝火のそばにいる鵜匠ははっきり映っていても、離れたところにいる船頭たちは暗くてほとんど映っていないことがよくあります。なかなか見えないところから、実は鵜匠を、鵜飼を支えているのが鵜舟の船頭たちです。

今回はその一人、杉山雅彦鵜匠代表の鵜舟の船頭を務める今井翔佑さんにお話を伺いました。今井さんは観覧船の船頭を務めた後、杉山雅彦鵜匠家で船頭となり、現在は船の後ろに乗る「艫(とも)乗り」を務めています。また、シーズンオフには舟大工の見習いとして、鵜舟づくりに携わっています。これからの長良川鵜飼の支え手の一人として期待を受ける中で、どんなことを感じていらっしゃるのでしょうか。船頭としての面白さや独自の理論、舟大工の難しさ、技術継承のプレッシャーまで、たっぷりとお話を伺いました。

鵜舟の船頭の今井翔佑さん
今井翔佑さん

水泳選手を経て観覧船船頭に。操船が上達していく感覚が面白い

岐阜市生まれの今井さん。幼いころから水泳をしていて、高校生のときには平泳ぎとバタフライで全国大会に出場した経験もあるほどです。

今井さんはもともと、鵜飼観覧船の船頭として鵜飼に携わりはじめました。大学生のころ、「広報ぎふ」で募集記事を見た母親に勧められたのが応募のきっかけです。

今井:そのときは「船頭」という言葉も知らなかったです。募集要項に「水泳の得意な方」と書いてあったので、監視員かと思っていました。

面接を受けて採用され、22歳で観覧船船頭となった今井さん。先輩たちから厳しく指導されることもありましたが、「やればやるほど面白くなってきた」といいます。

今井:とにかく操船が面白かったです。川も天気も毎日状況が違います。急に風が吹いたり、流れがきついところがあったりする中で、狙ったところに船を持っていくのがすごく面白いなと思っていました。また、一人で操船するわけではないので、相方が違えば自分の動きも変わります。相方が動くときには何か思いがあるはずなので、それを汲み取るのも面白みの一つです。状況が毎日違うので、やり方に決まった答えはないですが、ない中でも(今はこうするのがいいというのが)なんかあるんですよね。他の船頭を見ていて「ここでこうするのか」「上手だな」と思うことがあります。

今井さんは昼間から川に来て練習するようになり、腕を上げていきました。しばらくすると「点そう」と呼ばれる、昼間に観覧船の下準備をする仕事も担当するように。エンジン付きで重いトイレ専用船を棹で操船して観覧船乗り場まで運ぶなど、仕事の中にも練習の機会を探していました。

操船の面白さは、スポーツにも通じるものがあると今井さんはいいます。

今井:できないことができるようになってくるって面白いじゃないですか。まったく気にしていなかったことを気にするようになったり、わからなかったことがわかるようになったりするのも面白い。僕はスポーツをしていたから、スポーツのような感覚だと表現していますが、勉強などでも同様かもしれませんね。

練習を重ねて操船技術が上達し、片付けや他の船の手伝いも積極的に行う中で、先輩たちにも「どんどんかわいがってもらえるようになった」と今井さんは話します。

魚が獲れるよう、激しい動きも辞さない鵜舟の操船

観覧船の船頭を約5年務めた後、今井さんは杉山雅彦鵜匠の鵜舟の船頭を務めることになりました。

観覧船船頭時代から、今井さんは杉山秀二鵜匠の鵜舟の船頭を務める宮田康弘さんと、操船技術を語り合う仲でした。鵜舟の船頭たちとの交流があったことに加え、当時の杉山雅彦鵜匠家の船頭が今井さんの観覧船での姿を見ていたからか、人づてに声がかかったのです。

今井:観覧船は人をたくさん乗せているので、安全が第一です。一方では鵜舟では、より川や地形や風を見て、鮎のいそうなところを探す必要があります。そこで漁をするときには、鵜や親方(鵜匠)に合わせて操船しなければなりません。それまでやってきたこと以外にも、鵜舟ではまだまだやらないといけないことがたくさんあり、自分のスキルアップにつながると思いました。
出船前の準備。鵜籠やせいろを櫂に通して担ぎ、鵜舟まで運ぶ
出船前、鵜籠やせいろを櫂に通して担ぎ、鵜舟まで運ぶ

今井さんが鵜舟で最初に務めることになったのが「中鵜遣い」です。

鵜舟の船頭には、船の後ろに乗る「艫乗り」と、真ん中あたりに乗る「中乗り」がいます。この二人の船頭と鵜匠の他に鵜舟に乗り込むこともあるのが「中鵜遣い」です。鵜匠や船頭のサポートをするのが役割で、次世代の鵜匠が務めることもあります。

鵜舟に乗り始めると、今井さんは観覧船とのさまざまな違いに気付きました。

船への乗り込み方一つとっても、鵜舟では必ず足の水を切ってから乗りこみます。重い観覧船と違って、勢いよく乗ると船が傾いてしまうので、ゆっくり揺らさないように乗り込まなければなりません。

鵜舟の船頭は鵜を扱うこともあります。鵜舟に乗り始めて数日のとき、今井さんは鵜を1羽逃がしてしまいました。初めて手縄を握らせてもらい、教えてもらいながらさばいたところ、1本抜いたつもりが2本抜けていたのです。ただ、鵜が逃げたことにも気づいていなかったといいます。

今井:隣の舟で捕まえて、「(鵜が)おるよ」と教えてくれました。親方(雅彦鵜匠)に「今何羽や?」と聞かれて答えたら「あ、少ねえな、あれうちのや」と。ただ、最初はみんなに「素人やでしゃあねえわ」という感じで見てもらっていたと思います。
現在は鵜に触ることにも慣れてきた今井さん。夕方、この日の漁に連れて行かない鵜に餌をやって鳥屋籠に戻す鵜匠を手伝う。鵜を刺激しないよう、鵜匠と同じ上着を身につけている
現在では鵜に触ることにも慣れてきた今井さん。夕方、この日の漁に連れて行かない鵜に餌をやって鳥屋籠に戻す鵜匠を手伝う。鵜を刺激しないよう、鵜匠と同じ上着を身につけている

間近で見る船頭たちの様子にも驚きました。

今井:艫乗りの方は当時、階段を上るのもつらいほど足が痛いと言っていました。でも舟での姿を見ると「それでここまでできるの」と思わされました。

シーズン終盤から今井さんが加わり、4人で鵜舟に乗っていましたが、オフシーズンの間に、艫乗りを務めていた方が病気で亡くなりました。翌年からは、中乗りを務めていた方が艫乗りにまわり、今井さんは中乗りを務めることになったのです。

中乗りとして操船に携わるようになると、さらに多くのことに気づくようになりました。観覧船は重いので、前進させるには棹や櫂に思い切り体重をかける必要があります。しかし鵜舟では、体重をかけると船が揺れるため、体重を乗せずに操船する必要があります。

また、中乗りは櫂を使う機会が多いのですが、うまく動かさないとなかなか前に進みません。

さらに、それをしながら、鵜匠をサポートして松割木を動かしたり、魚を仕分けたり、舟が燃えないように水をかけたりもしなければなりません。

しかし続けるうちに、少しずつコツをつかんできました。櫂の動かし方については、今井さんは自身の考え方を「水泳理論」と呼んでいます。

今井:水泳で、手で水をかくときは、水をつかんで、寄せていって、はねる。櫂で前進するときの動きにも、同じことが言えるのではないかと感じています。僕は水泳をやっていたのでそう感じるのでしょうね。スキーが好きな船頭からは「スキー理論」を聞いたことがありますし、バイクに似ているという人もいます。

その後、鵜舟の船頭となって3年目からは艫乗りを務めるようになりました。

夕方、鵜匠や中乗りとともに出船する様子(左が今井さん)
夕方、鵜匠や中乗りとともに出船(左が今井さん)
今井:艫乗りが船長だと言われることもありますが、実は前方が自分よりよく見える中乗りの櫂の動きを見て操船することも多いです。中乗りの役割は重要だと思います。

そして、鵜舟では鵜飼漁をするのが観覧船との大きな違いです。

今井:観覧船のいるところと、もっと上流とでは、漁の仕方が全然違います。上流では魚を狙って、他の鵜舟とぶつかるくらい舟を寄せて下ったり、流れが急なところにも入っていったりします。御料鵜飼のときは特に、鮎を送るためにたくさん獲らないといけないので、下見に行ったり、後で「あそこはもうちょっと行けた」などと船頭同士で話したりもします。

鵜匠代表を務める杉山雅彦鵜匠は、魚を獲る確かな技術の持ち主です。

今井:うちの親方は日本一というか世界一だと思っています。その中でいろいろと教えてもらえているのはとてもありがたいし、自分のためになっていると思います。

教えられた通りにやってもできないことも。舟大工の技術の奥深さ

今井さんは令和3年度から、鵜飼のシーズンオフには鵜舟の舟大工の見習いとして、鵜舟の造船に携わっています。

板にかんなをかける今井さん
板にかんなをかける

毎晩激しい動きで川を下る鵜舟の耐用年数は約10〜15年で、定期的に更新が必要です。現在、鵜舟をつくることのできる現役の舟大工は田尻浩さん一人だけ。鵜舟の安定的な新造や造船技術の継承を目指し、4年前から岐阜長良川鵜飼保存会が市のサポートのもとで、田尻さんと3人の舟大工見習いを雇用して鵜舟を造船する仕組みをスタートさせました。

舟大工見習いの3人は、普段は鵜舟の船頭を務めています。今井さんがその一人となったのは、杉山雅彦鵜匠から声をかけられたのがきっかけ。船頭になる前から木工やものづくりは好きで、観覧船船頭時代にはシーズンオフに観覧船造船所で働いていたこともありました。

そんな今井さんに田尻さんは、1年目からいろいろな作業を担わせていました。

今井:田尻さんが「できる」と思ってやらせてもらえたのでしょうから、ありがたかったですが、本当に心配でした。漁の途中で舟が壊れてしまったらどうしようと、プレッシャーもありましたね。

完成した舟が杉山喜規鵜匠のもとで使われるようになり、2年目は「とりあえず浮く船はできるだろう」と思えるようになりました。しかし「できなくて当たり前」の1年目と違い、「なんでできんのやろう」という新たな悩みが生まれました。

今井:田尻さんに見てもらいながら作業して「いいんじゃない」と言ってもらったところでも、後になって、切り口がボコボコしていたり、傷の入り方が違っていたりして、やっぱりダメだとわかったこともありました。田尻さんもそれを見て不思議がっていたほどです。田尻さんは若いころから大工をしているので、自分でも知らないうちに身についた技術が多いのでしょうね。田尻さんを見ていると、技術がとても高くて、うまいし早い。まだ理解ができないところもあります。
田尻さんの反対側で作業をすることも多い。今井さんが田尻さんが釘を打った後の穴を木で埋めている様子
田尻さんの反対側で作業をすることも多い。今井さんは田尻さんが釘を打った後の穴を木で埋めている

いろいろな方法を試してみて、3年目にはちょっとよくなったのですが、なぜよくなったのかも今一つわかりません。

本当はもう少し田尻さんの作業の様子をじっくり見たいのですが、製作日程にもあまり余裕がないのです。

完成した鵜舟新造船の進水式にも出席(令和6年度)
完成した鵜舟新造船の進水式にも出席(令和6年度進水式)

周りとコミュニケーションをとりながら、次世代につなげていけるように

鵜舟の船頭と舟大工、両方の今後を担う今井さん。

今井:僕は船頭が好きでやっているので、負けたくないですし、手は絶対抜きたくないです。一方で、鵜舟のつくり手がいないのが現状で、この先は自分たちでつくっていかなければなりません。3人の舟大工見習いの中では僕が一番出勤日数が多いので、他の2人よりできるようにならなければならない。プレッシャーはあります。
今井:船頭の仕事でも、例えば腰みの作りなど冬場の仕事は特に、まだ一人前ではなく覚えている途中の段階です。そういう段階のものが今はいくつもあります。次の世代につなげなくてもいいなら、「こんなもんでいいやろう」と甘える気持ちにもなるかもしれません。でも、どれも次の世代につなげていかないといけない。そのためには、人に伝えることもできるようにならないといけない。「1個くらい手を抜きたい」というわけにもいかないのです。
翌シーズンに向けた鵜匠家での準備にも携わっており、篝棒を修理中の様子
翌シーズンに向けた鵜匠家での準備にも携わる。篝棒を修理中

舟大工の見習いとしてはこれから「田尻さんにより近づく技術を身につけたい」と今井さんは話します。

今井:何年も舟をつくって、それでも身に付かなくて「向いていないかもしれない」と思うようなことになったら、と思うと怖いですね。

舟大工の技術を自分が継承していけるのか、まだ確信が持てていない一方、船頭については「負けへんです」という今井さん。自身の技術向上に取り組むだけでなく、観覧船船頭の訓練の手伝いなどもしています。

観覧船船頭の訓練で、櫂での操船を実演する様子
観覧船船頭の訓練で、櫂での操船を実演
今井:観覧船をより安全にするには、船頭が技術を上げることがとても大事だと思っています。ある船頭にとっては危険なことでも、練習して当たり前にできるようになった船頭にとっては安全なことになるのです。何かあればお客さんの安全にも関わるし、周りも迷惑する。観覧船の船頭にも、これまでよりもう少し積極的に関わろうとしています。

もちろん、鵜舟についても考えています。近年、鵜匠家のうち数軒で船頭の交代がありました。今井さんは新しい船頭と昼間に舟で練習したこともあります。

「鵜飼は6軒が一緒になって漁ができないといけない」と今井さん。6艘の鵜舟が一斉に下る「総がらみ」の場面だけではありません。鵜舟一艘の動きで魚が散ってしまったり、他の鵜舟が通ろうとしていたルートの邪魔をしたりすることもあります。

今井:各家の船頭同士の馴れ合いはいけないと言われることもありますが、最近は昔と違って、船頭同士がコミュニケーションを取れるようになっています。これからはコミュニケーションをとりながら、漁のやり方や船団の組み方など、ある程度やり方を統一させていけるといいですね。鵜匠たちの方針にもよりますが、伝統的な漁法をできるだけ残していきたいですし、今の川に合わせたやり方にすることも大事だと思います。

今井さんは鵜匠とは違い、生まれながらに家業を継いでいるわけではありません。しかし船頭としての情熱と技術、周りとのコミュニケーション、手仕事の器用さなどにより、長良川鵜飼を支える若い世代の貴重な人材の一人としてさまざまな役割を担い、頼りにされています。そのことにより、一年を通じて鵜飼で生計を立てられる一方で、次世代に継承できるくらいまで自身が習得しなければならないという、役割の重さも感じられるようです。

今井さんをはじめ、鵜飼を支えている人が鵜匠家以外にもいることを、まずは私たち市民が知り、応援の輪を広げることが、そうした方々を支えることにつながるのではないでしょうか。

【文・写真 宮部遥(ライター)】

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