船頭として誰にも負けたくない。舟大工の技術はまだまだわからない。次世代につなぐためには、一つも手は抜けない。杉山雅彦鵜匠家の船頭・今井翔佑さん
【連載第4回】船頭として誰にも負けたくない。舟大工の技術はまだまだわからない。次世代につなぐためには、一つも手は抜けない。杉山雅彦鵜匠家の船頭・今井翔佑さん

鵜飼の写真を見ると、篝火のそばにいる鵜匠ははっきり映っていても、離れたところにいる船頭たちは暗くてほとんど映っていないことがよくあります。なかなか見えないところから、実は鵜匠を、鵜飼を支えているのが鵜舟の船頭たちです。
今回はその一人、杉山雅彦鵜匠代表の鵜舟の船頭を務める今井翔佑さんにお話を伺いました。今井さんは観覧船の船頭を務めた後、杉山雅彦鵜匠家で船頭となり、現在は船の後ろに乗る「艫(とも)乗り」を務めています。また、シーズンオフには舟大工の見習いとして、鵜舟づくりに携わっています。これからの長良川鵜飼の支え手の一人として期待を受ける中で、どんなことを感じていらっしゃるのでしょうか。船頭としての面白さや独自の理論、舟大工の難しさ、技術継承のプレッシャーまで、たっぷりとお話を伺いました。

水泳選手を経て観覧船船頭に。操船が上達していく感覚が面白い
岐阜市生まれの今井さん。幼いころから水泳をしていて、高校生のときには平泳ぎとバタフライで全国大会に出場した経験もあるほどです。
今井さんはもともと、鵜飼観覧船の船頭として鵜飼に携わりはじめました。大学生のころ、「広報ぎふ」で募集記事を見た母親に勧められたのが応募のきっかけです。
面接を受けて採用され、22歳で観覧船船頭となった今井さん。先輩たちから厳しく指導されることもありましたが、「やればやるほど面白くなってきた」といいます。
今井さんは昼間から川に来て練習するようになり、腕を上げていきました。しばらくすると「点そう」と呼ばれる、昼間に観覧船の下準備をする仕事も担当するように。エンジン付きで重いトイレ専用船を棹で操船して観覧船乗り場まで運ぶなど、仕事の中にも練習の機会を探していました。
操船の面白さは、スポーツにも通じるものがあると今井さんはいいます。
練習を重ねて操船技術が上達し、片付けや他の船の手伝いも積極的に行う中で、先輩たちにも「どんどんかわいがってもらえるようになった」と今井さんは話します。
魚が獲れるよう、激しい動きも辞さない鵜舟の操船
観覧船の船頭を約5年務めた後、今井さんは杉山雅彦鵜匠の鵜舟の船頭を務めることになりました。
観覧船船頭時代から、今井さんは杉山秀二鵜匠の鵜舟の船頭を務める宮田康弘さんと、操船技術を語り合う仲でした。鵜舟の船頭たちとの交流があったことに加え、当時の杉山雅彦鵜匠家の船頭が今井さんの観覧船での姿を見ていたからか、人づてに声がかかったのです。

今井さんが鵜舟で最初に務めることになったのが「中鵜遣い」です。
鵜舟の船頭には、船の後ろに乗る「艫乗り」と、真ん中あたりに乗る「中乗り」がいます。この二人の船頭と鵜匠の他に鵜舟に乗り込むこともあるのが「中鵜遣い」です。鵜匠や船頭のサポートをするのが役割で、次世代の鵜匠が務めることもあります。
鵜舟に乗り始めると、今井さんは観覧船とのさまざまな違いに気付きました。
船への乗り込み方一つとっても、鵜舟では必ず足の水を切ってから乗りこみます。重い観覧船と違って、勢いよく乗ると船が傾いてしまうので、ゆっくり揺らさないように乗り込まなければなりません。
鵜舟の船頭は鵜を扱うこともあります。鵜舟に乗り始めて数日のとき、今井さんは鵜を1羽逃がしてしまいました。初めて手縄を握らせてもらい、教えてもらいながらさばいたところ、1本抜いたつもりが2本抜けていたのです。ただ、鵜が逃げたことにも気づいていなかったといいます。

間近で見る船頭たちの様子にも驚きました。
シーズン終盤から今井さんが加わり、4人で鵜舟に乗っていましたが、オフシーズンの間に、艫乗りを務めていた方が病気で亡くなりました。翌年からは、中乗りを務めていた方が艫乗りにまわり、今井さんは中乗りを務めることになったのです。
中乗りとして操船に携わるようになると、さらに多くのことに気づくようになりました。観覧船は重いので、前進させるには棹や櫂に思い切り体重をかける必要があります。しかし鵜舟では、体重をかけると船が揺れるため、体重を乗せずに操船する必要があります。
また、中乗りは櫂を使う機会が多いのですが、うまく動かさないとなかなか前に進みません。
さらに、それをしながら、鵜匠をサポートして松割木を動かしたり、魚を仕分けたり、舟が燃えないように水をかけたりもしなければなりません。
しかし続けるうちに、少しずつコツをつかんできました。櫂の動かし方については、今井さんは自身の考え方を「水泳理論」と呼んでいます。
その後、鵜舟の船頭となって3年目からは艫乗りを務めるようになりました。

そして、鵜舟では鵜飼漁をするのが観覧船との大きな違いです。
鵜匠代表を務める杉山雅彦鵜匠は、魚を獲る確かな技術の持ち主です。
教えられた通りにやってもできないことも。舟大工の技術の奥深さ
今井さんは令和3年度から、鵜飼のシーズンオフには鵜舟の舟大工の見習いとして、鵜舟の造船に携わっています。

毎晩激しい動きで川を下る鵜舟の耐用年数は約10〜15年で、定期的に更新が必要です。現在、鵜舟をつくることのできる現役の舟大工は田尻浩さん一人だけ。鵜舟の安定的な新造や造船技術の継承を目指し、4年前から岐阜長良川鵜飼保存会が市のサポートのもとで、田尻さんと3人の舟大工見習いを雇用して鵜舟を造船する仕組みをスタートさせました。
舟大工見習いの3人は、普段は鵜舟の船頭を務めています。今井さんがその一人となったのは、杉山雅彦鵜匠から声をかけられたのがきっかけ。船頭になる前から木工やものづくりは好きで、観覧船船頭時代にはシーズンオフに観覧船造船所で働いていたこともありました。
そんな今井さんに田尻さんは、1年目からいろいろな作業を担わせていました。
完成した舟が杉山喜規鵜匠のもとで使われるようになり、2年目は「とりあえず浮く船はできるだろう」と思えるようになりました。しかし「できなくて当たり前」の1年目と違い、「なんでできんのやろう」という新たな悩みが生まれました。

いろいろな方法を試してみて、3年目にはちょっとよくなったのですが、なぜよくなったのかも今一つわかりません。
本当はもう少し田尻さんの作業の様子をじっくり見たいのですが、製作日程にもあまり余裕がないのです。

周りとコミュニケーションをとりながら、次世代につなげていけるように
鵜舟の船頭と舟大工、両方の今後を担う今井さん。

舟大工の見習いとしてはこれから「田尻さんにより近づく技術を身につけたい」と今井さんは話します。
舟大工の技術を自分が継承していけるのか、まだ確信が持てていない一方、船頭については「負けへんです」という今井さん。自身の技術向上に取り組むだけでなく、観覧船船頭の訓練の手伝いなどもしています。

もちろん、鵜舟についても考えています。近年、鵜匠家のうち数軒で船頭の交代がありました。今井さんは新しい船頭と昼間に舟で練習したこともあります。
「鵜飼は6軒が一緒になって漁ができないといけない」と今井さん。6艘の鵜舟が一斉に下る「総がらみ」の場面だけではありません。鵜舟一艘の動きで魚が散ってしまったり、他の鵜舟が通ろうとしていたルートの邪魔をしたりすることもあります。
今井さんは鵜匠とは違い、生まれながらに家業を継いでいるわけではありません。しかし船頭としての情熱と技術、周りとのコミュニケーション、手仕事の器用さなどにより、長良川鵜飼を支える若い世代の貴重な人材の一人としてさまざまな役割を担い、頼りにされています。そのことにより、一年を通じて鵜飼で生計を立てられる一方で、次世代に継承できるくらいまで自身が習得しなければならないという、役割の重さも感じられるようです。
今井さんをはじめ、鵜飼を支えている人が鵜匠家以外にもいることを、まずは私たち市民が知り、応援の輪を広げることが、そうした方々を支えることにつながるのではないでしょうか。
【文・写真 宮部遥(ライター)】
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