舟づくりを、朗らかに伝えたい。現役唯一の鵜舟の舟大工が3人の見習いとつくりあげた新造船
【連載第1回】舟づくりを、朗らかに伝えたい。現役唯一の鵜舟の舟大工が3人の見習いとつくりあげた新造船
鵜飼で鵜匠たちが乗る鵜舟は、すべて舟大工による手づくりです。今年3月、古くなった鵜舟に替わる新たな鵜舟が完成し、5月11日の鵜飼開きでデビューをしました。
実は、鵜舟をつくる技術は今、継承の危機にあります。今回の新造舟は、現役で唯一、その技術を持つ舟大工の田尻浩さんが、見習いの舟大工たちを指導しながらつくり上げた3艘目の鵜舟です。その現場はどんな様子だったのか、お披露目までを追いました。
鵜舟は定期的な新調が不可欠
鵜飼で鵜匠と船頭と鵜が、川を下りながら漁をするときに乗る鵜舟。
シーズン中は毎晩出船し、ときには激しい流れの中に突っ込むことも。意外と消耗が激しく、寿命は大体10年から10数年といわれています。定期的に新調が必要なのです。
しかし、鵜舟をつくれる舟大工の数は限られています。
現在その技術を持つのは、美濃市在住の94歳、那須清一さんと、那須さんの弟子で郡上市在住の62歳、田尻浩さんの二人しかいません。那須さんは指導などは行っているものの、すでに現役を引退。以前、田尻さんが体調不良などで舟を手掛けることができなかったときには、長良や小瀬の鵜匠たちは鵜舟を新調することができず、修理しながらなんとか乗り続けるしかありませんでした。
数年前から、そんな状況に危機感を覚えた人たちが、鵜舟づくりの継承に向けて動き始めました。
2017年には、岐阜県立森林文化アカデミーのコーディネートにより、アメリカ人の船大工ダグラス・ブルックスさんらが、鵜舟のつくり方を那須さんから教わりながら一艘をつくり上げるプロジェクトが行われました。
岐阜市では、最初は観覧船造船所での鵜舟づくりを試験的に実施。2021年からは鵜匠を中心とした「岐阜長良川鵜飼保存会」が舟大工を雇用する形で鵜舟をつくっています。
目は厳しく、教えるときは朗らかに
2023年も、翌シーズンにまでに一艘をつくることを目指し、長良川うかいミュージアムのすぐ近くにある作業場で、11月から鵜舟づくりが始まりました。
つくっているのは、田尻浩さんと、見習いの今井翔佑さん、國枝昌平さん、宮田康弘さん。
見習いの3人は、鵜舟の船頭でもあります。
12月に訪れたときには、「シキ」と呼ばれる船底の部分をつくっていました。
見習いの皆さんは、板と板をつなぐ舟釘を打つための穴(ダキ)を開ける作業(「ダキを切る」と言います)に挑戦中です。作業場の棚に渡した板には、見習いの皆さんがダキを切る練習をした跡が。
田尻さんはまず、見習いの皆さんが切ったダキを確認して仕上げます。
次に「サグリ」という道具で、釘を打つための先穴を開けます。そしてその先穴に、「モジ」を打ち込みながら時々左右に動かし、穴を広げていきます。
そして釘打ち。トントントン、トントントントン……強弱をつけ、独特のリズムで打っていきます。ずっと強く打ち続けると、板が割れてしまう危険もあるため、弱めに打って探りを入れながら打ち進めるのです。
その後、次の板とくっつける面の繊維を叩いて壊す「木をこなす」という作業に移りました。壊れた繊維が水を吸って元の形に戻るときに、接合面がより締まり、水が入りにくくなります。
トントントン……田尻さんは木の様子を見、少しずつ位置や力加減を変えながら、時間にして10分以上、集中して打ち続けました。その力強く続く音は、熟練の大工の鮮やかな腕を感じさせます。
取材中、田尻さんが見習いの皆さんに話しかけるときは、いつも明るく穏やか。見習いの皆さんも田尻さんに気軽に話しかけています。休憩中も、他愛もない話で仲良く盛り上がっていました。
田尻さんは、こんな関係を意識的につくっていらっしゃるのでしょうか。
「僕が師匠のところへ行っていたときは、やっぱり厳しかった。失敗したらきつく言われて、落ち込んで一回逃げ出したこともある。そういう苦しい思いはなるべくさせないように、できるだけ朗らかに覚えていってもらえれば、楽しくできていいなと思ったんです。ここはだめ、というところはぴしっと言うけれど、『今度はこういう風にするといいよ』と付け加える。失敗しても『初めてやるんやで。この次気をつければいいで』と。
最近は自分たちで進められることが増えたり、作業にかかる時間が短くなってきたりしているけれど、まだまだ2、3年で舟づくりができるもんじゃない。僕が死に物狂いで努力して、8年かかって覚えたことだからね。」
年が明けて2月。「シキ」の工程を終え、今度は「ハラ」と呼ばれる、船体の側面の部分に取り掛かっていました。
今井さんが接合しようとしている板の角度を、「さげふり」と呼ばれる道具を使って確認します。
次に使う板を、かんなで削って調整。
こちらも「さげふり」を使って角度を調整し、固定したあと、のこぎりで「すり合わせ」を行います。こうすることで板と板の隙間をなくし、側面から水が入ってくるのを防ぐのです。
そして3月。とうとう、鵜舟は完成を迎えました。
「今回は最後にちょっと余裕を持って完成できて、ほっとしています。特別いいとか悪いとかはなく、今までと同じで、普通に使ってもらえる舟ができました」と田尻さん。
この日はこの鵜舟を使うことになる、杉山秀二鵜匠も作業場にやってきました。早速鵜舟と一緒に写真を撮ったりして、うれしそう。
そして次の作業に備えて、みんなで息を合わせて鵜舟を逆向きにしました。
道具をつくる人もいて鵜飼が成り立つ
4月29日、長良川うかいミュージアムとその目の前の長良川を舞台に、完成した鵜舟の進水式が行われました。
会場には地元の方、うかいミュージアムを訪れていた家族連れ、ベストショットを狙う方など、幅広い年代の多くの方が訪れていました。
田尻さんが塩で、杉山秀二鵜匠がお酒で舟を清めます。
また、杉山秀二鵜匠や杉山雅彦鵜匠代表に加え、他の鵜匠家の鵜匠や船頭も私服姿で多く訪れていました。なかなか見られない集合写真です。
クライマックスは「舟かぶせ」。川の中で舟を3回ひっくり返すことで、二度と転覆しないことを祈願する、この地域に伝わる水難除けの儀式です。
台車に乗せた舟を、鵜匠や船頭がみんなで支えながら、うかいミュージアムから長良川まで運びます。
そして、川に舟を浮かべます。
今回舟を回すのは、杉山秀二鵜匠、宮内庁嘱託の杉山貴紀さん、今井さんの3人。
杉山貴紀さんが真ん中を持ち、勢いよく舟をひっくり返します。
無事に3回舟が回り、岸から見守っていた観客から大きな拍手が沸き起こりました。
田尻さんはこう話します。
「なんでもない丸太を挽いて板ができて、そして舟になって、皆さんにお披露目されて見てもらえる。そういう道具を自分がつくらせてもらえるのは、誇りがあるし、うれしいです。
篝火のもとで鵜が魚をとる伝統的な漁は風情があるし、ずっと絶えずに続いてほしい。そのためには、それに使う道具の籠や篝、そして船なども絶えないように守っていく必要があります。鵜飼は一人でやれるもんじゃなくて、みんながおって鵜飼は成り立っていく。船や釘や籠をつくる人はあまり知られていないので、そういう人もみんないてやっていけるというのが知られるようになると、もっといいなと思います。」
今度鵜飼を見るときには、ぜひ鵜匠たちの乗る舟にも注目してみてください。田尻さんや、鵜舟づくりのストーリーに思いを馳せてみると、鵜飼がもっと奥深く、面白く見えてくるはずです。
【文・写真 宮部遥(ライター)】
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