ナビ番号:101 加納城跡

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ページ番号1020482  更新日 令和5年3月24日

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徳川家康キャラクター

わたくし、ぎふ・いざないびと、徳川家康がご案内申し上げよう。

ここ加納城は、関ヶ原合戦直後に西国大名に対する要衝として、わしが家臣・本多忠勝に築城を命じた城である。廃城となった岐阜城から天守などを移築し、慶長7年(1602)に築城を始め、3年後に完成をみたのである。初代城主は、わしの娘・亀姫の婿・奥平信昌であった。その後、城主はたびたび交代したが、宝暦6年(1756)永井氏が入封し、幕末に至るのである。広い堀に囲まれた平城であったため、当時、最も進んだ土木技術を用いて高い石垣を築いており、また、水堀の堀底には、外敵の侵入を防ぐため、堀障子という仕掛けを施したのだ。

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