落語の祖・安楽庵策伝ゆかりの岐阜市

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ページ番号1013846  更新日 令和3年11月12日

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 現在の岐阜市で生まれ、戦国時代から江戸時代を生きた説法の名手・安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)上人は、落語の原型となる様々な滑稽話・人情話を収めた「醒睡笑(せいすいしょう)」を著したことなどから「落語の祖」と言われています。

 

安楽庵策伝上人の生涯

 策伝上人は、1554年に現在の岐阜市で生まれ、7歳のときに岐阜市三輪に現存する淨音寺(じょうおんじ)にて出家したのち、11歳で京都へ移り修行に励みました。

 25歳で山陽地方へ旅に出た策伝上人は、布教活動をしながら7つのお寺を復興・建立したと言われています。

 43歳のとき、出家した淨音寺の住職として迎えられ、生まれ故郷の岐阜市に戻ります。この後、17年間にわたり、淨音寺や岐阜市西荘にある立政寺(りゅうしょうじ)を守りました。

 60歳のときには、これまでの功績が認められ、京都の新京極にある総本山誓願寺(せいがんじ)の55世法主(ほっす)となりました。

 晩年の策伝上人は、生涯にわたり集めた1039のお話を収録した説話集「醒睡笑」をまとめます。様々な滑稽話、人情話で構成されており、「睡り(ねむり)を醒まして笑う」という、本の中に出てくる文章から題名を名付けたと言われています。

 「醒睡笑」の完成と同時に、誓願寺に茶室「安楽庵」を建て隠居しますが、これが「安楽庵策伝」と呼ばれるようになった由来です。

 策伝上人は1642年1月8日に89歳で永眠し、かつて住職を務めた淨音寺では、毎年命日に策伝上人を顕彰する落語会が開かれています。

 

説法を広めるための「話の落ち」

 策伝上人は説法の達人であり、字の読めない人たちにも仏の道をわかりやすく教えるため、話の最後に「落ち」を用いました。説話集「醒睡笑」にもこの手法が生かされており、策伝上人が「落語の祖」とされる由縁となっています。

(参考:「落語の祖 岐阜の策伝さん」岐阜市笑いと感動のまちづくり実行委員会発行、関山和夫 著「安楽庵策伝和尚の生涯」株式会社法蔵館発行)

 

 岐阜市では、この地にゆかりの深い安楽庵策伝上人を顕彰するとともに、笑いでまちを元気にする「岐阜市笑いと感動のまちづくり事業」に取り組んでいます。

策伝くん

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