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織田信長公命名のまち・岐阜市

織田信長公命名のまち・岐阜市
(2018年7月4日更新)

信長公命名のまち・岐阜市

 歴史上もっとも有名な戦国武将”織田信長公“は、斎藤道三公の娘”濃姫”と結婚したのち、1567年に当地に入城し、”井口”と呼ばれていた地名を”岐阜”に改め以後1576年まで足掛け10年、岐阜を本拠地として天下平定を目指しました。
 その間、楽市楽座によるまちづくりや岐阜市の代表的な観光資源であります”鵜飼”の保護や”おもてなし”への活用などを行い、それらは今もなお信長公の足跡として現在の岐阜市につながっています。

 2015年4月には、文化庁が新たに創設した日本遺産第1号として”「信長公のおもてなしが息づく」戦国城下町・岐阜”が認定され、2017年には、信長公が岐阜に入城し岐阜と命名してから450年を迎え、官民一体となった”信長公450プロジェクト”を実施し、多くの賑わいとともに、広く国内外に”信長公命名のまち・岐阜市”をブランド発信してきました。

 信長公のロマンを岐阜市で感じてください。

信長公居館再現画像らくいち
信長公居館再現画像

命名の由来

 

 信長公が命名した”岐阜”。
 ”岐”は、中国の故事「周の文王が岐山から起こり、天下を定める」に倣い、”阜”は、太平と学問の地になるよう願いを込め、孔子の生誕地「曲阜」から引用したといわれております。(諸説あり)
 地名の変更は、それまで武将が行ったという記録はなく、信長公の岐阜の地に対する思いや天下平定を目指す強い意志が示されたとも言えます。

ぎふ信長大使

 

 信長公ゆかりのまち岐阜市の魅力を発信するため、岐阜市出身の漫画家・山田貴敏さんに平成22年からぎふ信長大使として活動いただいています。