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信長公居城連携協議会(信長の夢街道連合)

信長公居城連携協議会(信長の夢街道連合)
(2014年12月17日更新)

信長公居城連携協議会の設立について

 群雄割拠の戦国時代、不世出の英雄「織田信長公」は,常識にとらわれない発想と類まれなる行動力で駆け抜け、楽市楽座など活気あふれる城下町を築いたその手法は、現代においても十分通用するものです。

 信長公が天下への足がかりとして城を構えた地である、岐阜市、近江八幡市、小牧市、清須市は都市の形成や産業、文化などに今でもその思想が息づいています。

 そこで、信長公の偉業を受け継ぐ四市が連携し、それぞれの都市が持つ信長公ゆかりの資源をひとつにつなげ、信長公の天下取りへの道のりを連続した物語とすることで、広域観光による現代の天下布武を成し遂げるべく、信長公居城連携協議会を設立いたしました。

設立評定

 平成22年8月2日、岐阜公園内華松軒において設立評定を開催し、四市長が設立趣意書に署名しました。

信長夢街道スタンプラリー

 当協議会では、戦国武将「織田信長公」が居城した清洲城、小牧城(小牧市歴史館)、岐阜城、安土城(安土城郭資料館)巡る「信長夢街道スタンプラリー2014」を実施します。

 各城内(城郭資料館含む)に設置してあるスタンプをすべて集めた方には、応募用紙と引き換えに記念品を贈呈します。
 さらに、スタンプをすべて集めて応募された方の中から、抽選で40名様に各市の特産品を贈呈します。

日程

平成26年3月29日(土)~平成26年11月30日(日) 
※平成26年度は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

参加方法

1.参加希望者は、清洲城、小牧山城(小牧市歴史館)、岐阜城、安土城郭資料館に設置している「スタンプラリー帳」を取得し、参加してください。
 (信長公居城連携協議会ホームページからもダウンロードできます。)
2.「スタンプラリー帳」に、訪問した城(安土城は安土城郭資料館)のスタンプを押印してください。
3.スタンプラリーの応募は、「スタンプラリー帳」の用紙にすべてのスタンプを押印し、住所、氏名等を記載して、最後に訪問した城(安土城は安土城郭資料館)に提出してください。
4.応募締め切りは、平成26年11月30日(日)とします。

【岐阜城賞・10名様】  鮎のリエット・白熟クリームセット
【清洲城賞・10名様】  太陽ソース4本セット
【安土城賞・10名様】  近江八幡名物 丁稚羊羹
【小牧山城賞・10名様】 純系名古屋コーチン鍋セット

主催

信長公居城連携協議会(岐阜市、近江八幡市、清須市、小牧市)

 

スタンプラリー2014

信長公の夢街道~天下取りの城巡り~ パンフレット

信長公の夢街道パンフレット表面(825KB)

信長公の夢街道パンフレット中面(2537KB)

 

「信長公居城連携協議会」ホームページについて

信長公居城連携協議会では、四市(岐阜市、近江八幡市、小牧市、清須市)の信長公に関する情報などを紹介したホームページを作成しました。

各市の観光情報やイベント情報なども掲載していますので、ぜひご覧ください。

→「信長公居城連携協議会」ホームページはこちら


四市の紹介

清須市

清洲城写真
清洲城

清洲城

応永12年(1405)、尾張国の守護職であった斯波義重が、守護所であった下津城(稲沢市)の別郭として建てられたのが清洲城の始まりといわれ、その後、弘治元年(1555)に織田信長公が那古野城(なごやじょう)から入城しました。永禄3年(1560)、桶狭間の戦いに勝利した信長公は、清須から天下統一への第一歩を踏み出し、永禄6年(1563)、美濃攻略のため、小牧山城を築城して、清洲城から居城を移しました。

 

>>清須市HP

>>清須市観光協会


 

小牧市

小牧山城
小牧山城(小牧市資料館)

小牧山城

永禄6年(1563)、織田信長公が小牧山城を築きました。それ以前に小牧山に築城された記録はなく、4年後の永禄10年(1567)に美濃の斎藤龍興を攻略して稲葉山城(岐阜)へ移り、小牧山城は廃城となりました。小牧は信長公の考える都市政策が実現した初めての城下町で、小牧山南麓に城下町を計画的に整備、城下町西部は商工業者、城下町東部には武家屋敷を配しており、城下町の初期の形態がうかがえます。

 

>>小牧市HP

>>小牧市観光協会


 

岐阜市

岐阜城写真
岐阜城

岐阜城

金華山(稲葉山)に始めて城を築いたのは鎌倉幕府の執事、二階堂行政が初めとされ、戦国時代には斎藤道三公の居城となりました。永禄10年(1567)織田信長公は道三公の孫である斎藤龍興を攻め落とし、当時、「井の口」といわれていたこの地を「岐阜」、「稲葉山城」を「岐阜城」と改めました。その後天正4年(1576)に安土城へ移る約9年間岐阜城を居城として、楽市楽座を保護するなど、城下町の発展に尽力しました。

 

>>岐阜市観光コンベンション協会

>>信長と岐阜(協会内HP)

 


近江八幡市

安土城復元
安土城天主(信長の館) 内藤昌復元©

安土城

天正4年(1576)岐阜城より京に近く、琵琶湖の水運を利用できる安土山に築城。天正7年(1579)天主などが完成し、天正10年(1582)本能寺の変で討たれるまで信長公の居城となりました。自身の権力を誇示するため、当時の技術と芸術の粋を集めて造られたといわれており、城の外面は各層が朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色だったとされています。内部は、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがありました。わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、歴史上に名を残す名城跡です。

 

>>近江八幡市HP

>>近江八幡観光物産協会

>>安土町観光協会